「個性と自分らしさってちょっと違うような気がして…」──美術作品の理解を深めるアートカードの遊び方を聞く。

WEB 企画『コース賞受賞者インタビュー』#3

「個性と自分らしさってちょっと違うような気がして…」
──美術作品の理解を深めるアートカードの遊び方を聞く。

第3回目は人間情報デザインコース・コース賞を受賞された、人間情報デザインコース4年 齋藤来瞳さんにインタビューを行いました。「美術作品の理解を深めるアートカードの遊び方」について研究されている齋藤さんに、研究についてより詳しく深掘りしていきます!

研究のきっかけ

──齋藤さんは美術作品の理解を深めるアートカードの遊び方についての研究においての「主体的学び」で作品を理解するための鑑賞教育についての調査などを行なっていらっしゃいますが、「主体的学び」がこの美術作品への理解を深める上でどのように影響するかなど、重要なポイントはありますか

まず、自分が美術をもともと見るのが好きなんですけど、その中でいろんな鑑賞者が周りに、美術館の中にはいるわけで、みんなどういう見方をしているのかなって。美術を見ることに対して正解というものはないので、私は人の目をもともと気にする性格なので、そこでどういう学びっていうのが一番いいのかなって、よく考えることがあって、行動とかもよく見ていたんです。

それで「論理的美術鑑賞」っていう本と、あと「芸術がわからなくても美術館がすごく楽しくなる本」という本が二つあって、その本を読んだ時にどっちにも、大抵の人は楽しむために美術を見るんじゃないの?ということが書いてあって、全くその通りだなと思ったんですよね。

その時に「主体的な学び」と、美術の関係性というものが初めて見えて、それは自分から進んで美術作品に対して「観よう」という気持ちがないと全然自分の目では見れてないし、自分の心にも残らないなあっていう風な学びがあったので今回はその「主体的学び」といういうのを一つのキーワードとして、軸として考えていました。

──なるほど、ありがとうございます。そもそも、この研究をしようとなったのは、齋藤さんが美術館で人が美術を見ているのを見て、どう考えているんだろうって気になったのがきっかけなんですね。

気にしてしまう性格、だから気づけたこと。

──先ほど周りの目を気にしてしまうという性格であると伺ったのですが、「こういう見方してるんだろうな」みたいなのって美術館の中でどういう風に感じていましたか

やっぱり、子供だと直感的に見るというか、「これいま影絵に見えた」とか。自分は「こういう絵を描いているのかな」って正解を求めて見ていたのに、子供は観れたものを直接捉えるっていう見方をしていたりとか、あと、おじいちゃん、おばあちゃんっていうのは、歴史のある作家さんに対してもともと知っていたりとか、同じ年代を歩んで来たりする方々がいらっしゃるので、歴史を踏まえてちゃんと考察できる方がいたりとか、そういう人たちっていうのは作品を昔に見たことがあるので「これはこんな時代だったね」っていう作品以外の話も広がったりとかしていて、自分が答えを求めに行くだけの見方しかできていなかったので、直感的な見方だったり、歴史を踏まえた、じゃないんですけども作品以外のことも想像できるような考えっていうのは自分にはなかったので、面白いなっていう風に思いました。

カード遊びから、主体的な学びへ。

──この研究ではアートカードを使った遊びで検証を行っていたと思うんですけれども、このカードにしようと思ったきっかけなどはありますか

そこの部分をすごい悩んでいて、最初は美術館の鑑賞のシステム自体を変えたいなっていう風に思ってたんですけども、コロナの影響があって、実空間での実現が難しくなったりとか、検証とかもなかなか人のいるところには行けなくなったということがあって、それはまずやめようと思ったんですよ。

次に自分の考えを深める鑑賞の代表として「対話型鑑賞」というのがあるんですけど、それもグループでみんなと対話しながら一人の司会者を軸に鑑賞するってものなんですけども、それもやっぱり難しいってなった時に他に美術を捉えるというか、美術館に行かなくても美術に触れられるものがないかなって調べていた時に、アートカードっていうものを見つけてじゃあ今回はこれを使ってみようって思ってチャレンジしたのがきっかけでした。

──ありがとうございます。このアートカードにまつわる様々なゲームを実験でやってもらったと思うんですけれども、自身でもやってみて「ここが面白かったな」と感じた点はありますか?

それは実験を見ていて感じたことでやっぱり、自分じゃ思いつかなかったっていう発想を聞いた時に一番盛り上がっているような印象があって、「こう見えてなかった」とか「こういう設定があったんだね」っていう共感とはまた違って納得?っていうのかな、他の意見に納得するっていう場面がすごい大事だし、自分の考えに響かなくとも自分の考えを深めるための重要なポイントになってて面白いなって思いました。普通は、その美術作品に対しての会話ってなかなか美術館の中でもできないし、それが大声で喋って盛り上がれるっていう状況を作れただけでいいことができたのかなっていう風に思います。

──コロナの影響で、こういう実験方法になったからこそ見えてきた、という感じですね。

──では、この研究を通して、対話型で検証・鑑賞したことで、新たな発見があったと思うんですけれども、今後この研究をどうしていきたいなどの展望などありますか?

今後は、今自分がやってきた研究っていうのは検証とかの考察重きで、どちらかというと、インプットの部分だったと思うので、このゲームをどう生かしていくかっていう部分は今後考えていきたくて、例えばガイドブックを作るとか、あとはネットで自分の好きな作品の画像を入れたらゲームができるようになる、とかそういった部分を深めるというか広げていきたいなっていう風に思っています。

わたしが出会ったmeets me.

──ありがとうございます。最後になんですが、この大学での二年間、この一年間研究を通してでもいいですし、あなたが出会ったもの、この状況だからこそ出会えたものでもなんでもいいので、何か一つあげるとしたらなんですか?

表すなら、自分らしさ。

自分らしさって思った理由は、自分はもともと高専にいて、工業系のこと、どちらかっていったら正解があるものに対して自分の知識を深めていく、だったんですけどデザイン学部に入って、自分の感性を磨くというか、自分が考えたことを大切にするようになったんですよね。個性と自分らしさって一緒のようでちょっと違うような気がして、自分にしかないものを大切にできた二年間だったなっていう風に思います。なので自分らしさにしました。

──自分らしさとっても大切ですね。

そうですよね。ありがとうございます。


第3回目いかがでしたでしょうか?齋藤さんの自分らしさから気づけた研究は、現在開催中の学内展で展示をしています。ぜひご覧にいらしてください!それでは、また次回のインタビューでお会いしましょう!

(筆:樋口涼佳子、髙畠栞)

yuyamikawa

投稿者: yuyamikawa

 筆者は、大学のゼミ活動などを通し、社会で様々な実践を繰り返してきた。それら基礎になっているのが実践者同士の対話であった。相互の見えを解釈した上で、見ていたものを想像、回想し、更なる解釈を語りあい、自他の経験、記憶、生きかたの違いを享受できていたのである。このような関係を形成するために、出会った人びと、触れた作品・デザインから得られる生きた物-語り〈ナラティブ〉を理解していたのだろう。 一方で、私たちデザイナーが現場にあった物-語りをどう解釈しようとし、現場の人々にどのように物-語られ、どのように受け取られていたのかなど、デザインにおける物-語りの構造を明らかにしてこなかった。  そこで本研究では、筆者のデザイン実践の物-語りと、 他者のデザイン実践の物-語りを省察的に読み解き、生活世界ベースのデザイン実践における物-語り=ナラティブはどのように紡がれ、その文脈を筆者や他者がどのように解釈をしていたのかを明らかにする。そして、そのナラティブを得ることでどのようなデザインができたのか、どのような知のはたらきがあったのかを明らかにする。自他の関わり合い、対話、デザイン活動の中で、活動段階による個々人の変化を捉えるために、二人称的アプローチによって実践を省察した。